新富町の名前の由来 — 知ると街歩きがもっと面白くなる
- impersonalgym
- 10月14日
- 読了時間: 2分
更新日:7 日前
こんにちは。 今回は当ジムの拠点がある「新富町/新富)」という名前がどのように生まれたのかを探ってみました。

1.現在の新富町の位置と概要
まず現代の「新富」について整理しておきます。
新富は東京都中央区の東部に位置し、新富一丁目~二丁目が該当エリアです。
西を銀座、南を築地、北を八丁堀、東を入船地域と接し交通利便性も高いエリアです。
地名としては明治4年(1871年)以降「新富町」として用いられるようになったようです。
2.名前の由来
「新富町」という名前の由来は諸説あるようで。
■ 大富町の対比説
かつてこの地の西側には「大富町(おおとみちょう)」という町名があり、それに対して付けられたという説。すなわち「新しい富町」という意味合いを込めた命名。
■ 新島原 + 大富町を組み合わせた説
この地域にかつてあった花街「新島原(しんしまばら)」の「新」と、「大富町」の「富」を取って「新富町」としたという説。
いずれも確かな根拠ではなく、どうもはっきりしない笑ということもわかりました。
3.歴史的背景:花街・劇場・町の変遷
名前の由来とともに、この地が辿ってきた歴史も見ると、「新富」という名が持つ重みが感じられます。
明治時代、このあたりには新島原遊郭(かがい)が設置されましたが、予想したほどの繁盛はせず、ほどなく廃止されたとも伝えられています。
遊郭廃止後、その跡地や周辺は再整備され、明治5年には歌舞伎劇場「守田座」が移転してきて、後に「新富座」と呼ばれるようになり、芝居町(演劇文化)の性格も帯びるようになりました。
また、新富町には躍金楼(てっきんろう)という店舗が国の有形文化財として残されており、かつての町並みや文化を物語る名残となっています。
このような歴史を知ると、普段何気なく使っている「新富」という名前が、ただの地名ではなく、地域の文化・変遷を凝縮したものだと感じられます。
当ジムがあるこの新富エリアは、歴史と都市性を兼ね備えた場所。
駅近で通いやすく、昔の芝居町としての文化的な香りも残された地域性が魅力なのだとあらためて感じます。
トレーニングの前後にそんなことを思いながら、新富町界隈を街ぶらしてみるのもいいかもしれませんね。






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